いずみ緑道
現在、いずみ緑道として整備されている遊歩道は、西小泉駅から利根川河畔にあった仙石河岸駅までの貨物線「仙石河岸線」の跡地に造られた。写真の右手のエリアには、かつて中島飛行機 小泉製作所があった。






1947年(S22)の空中写真
写真の上側に、中島飛行機の専用飛行場だった太田飛行場の滑走路が見える。下側の正方形の敷地が、中島飛行機 小泉製作所。西小泉駅は、その中間にある。小泉製作所は海軍機の増産のために増設された工場で、製造された航空機は幅の広い道路を使って運ばれたそうだ。ちなみに、飛行場の左上の位置には、中島飛行機 太田製作所があった。

太田飛行場が、以前に調べた旧霞ヶ浦海軍航空隊跡の滑走路と比べ、しっかりと舗装されているのに驚いた。
写真には、斜めに黒い線が見える。最初、小泉製作所をズームしている時に気が付き、爆撃の跡かと思った。しかし、引きで見るとフイルムにマジックで書き込まれたアルファベットとアンダーラインだとわかった。
2004年(H16)の空中写真
太田飛行場は米軍に接収された後、返還され、その跡地に現在はSUBARU大泉工場が立っている。中島飛行機 小泉製作所の敷地は、三洋電機の工場等を経て、現在はパナソニックの工場になっている。上の写真では、仙石河岸線のルートはわかりにくかったが、いずみ緑道は、くっきりと黒い線として表れている。

1960年(S35)の仙石河岸駅
1976年(S51)まで存在した貨物専用の仙石河岸駅。川砂利の積み込みをおこなっていたのだろうか。右上から中央下に真っ直ぐのびる斜めの道路は、利根川を渡って東武熊谷線に続くはずだった未成線の跡。

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより
利根川に架けられた国道407号線の刀水橋と並行するように、太平洋戦争末期に工事が中止されたまま取り残された、未成線の橋脚が連なっているのがわかる。写真の下側は、埼玉県熊谷市妻沼(めぬま)の付近。

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより
写真の下側、黒く見える林が妻沼聖天山の辺りなので、熊谷線の妻沼駅まではあとわずかの距離。
橋脚だけでなく、線路の路盤がしっかり整備されていたもがわかる。
戦時中の物資不足に伴い、建設が中断されたと云うことは知っていたが、こんなに短い距離だとは思わなかった。
<これまでのnKアーカイブ>
2017年1月 東武鉄道 熊谷線 キハ2000型 気動車

旧熊谷線・妻沼聖天山・中条堤【まとめ】



